松代 皆神山


 松代町は歴史を感じさせる。この町が実は 日本の政治の中枢になりかけたことがある。 大戦終末に大本営が移転する話があったから だ。工事は延べ300万人を動員し75%終了 していた。軍部がなぜこの地を選んだのかは 知る由もないが、地理的あるいは地質的に最 良の場に映ったのであろう。 さて、松代町の中央部に皆神山がでんと座 っている。きれいな台形で篠ノ井の辺りの人 はプリン山と呼んでいる。見るからにコニー デ型の単成火山に思えるが、そうではない。 それは山頂に河床レキが乗っているからだ。 (横および上空からの皆神山 ↑→)
 皆神山は粘性の大きい(流れにくい)性質の溶岩 が頭に土砂を乗せたまま、ゆっくりと上昇してでき た火山である。このような火山を溶岩円頂丘という。 この皆神山を有名にしているものが2つある。 一つは先ほどの地下壕である。もう一つは1966年頃 をピークに、皆神山付近を震源にして発生した松代 群発地震である。  松代で掘られていた地下壕は全部で3カ所で (皆神山、象山、舞鶴山の地下)、このうち舞鶴山 の地下壕を利用して、日本で最も大規模の地震観測 施設が1947年に設置された。長さ100mのひずみ地 震計や水管傾斜計、日本唯一の世界標準地震計、そ の他多数の地震計が地下に置かれ24時間観測を続 けている。また群列地震観測システムと呼ばれる、 ここだけで世界中の震源を決定できるシステムが構 築されている。   写真(←) 舞鶴山地下壕(大本営予定坑)の様子  この最先端観測技術が装着された松代で群発地震 が発生したのは妙な因縁といえる。群発地震はこれ までに70万回を超え、めっきり減ったが、現在もま だ続いている。この地震は大量の水が吹き出たこと が特徴で、地下のマグマから絞り出た水が群発地震 を起こしたらしい。
写真↑ 群列地震観測システムで捕らえられた地震波   <参考文献>     気象庁精密地震観測室、案内パンフレット      (宮坂 晃)

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