長野盆地(善光寺平)の生い立ち
日本のように地殻変動が激しい所では絶えず大地は動き、地形は変わっていく。 今日、窓の外に見える景色は今日だけのものである。ゆえに、今見える山は地球の歴史から見ると つい最近隆起して山になったのであり、盆地も最近凹みになったものである。長野県下の盆地もほ とんどが歴史は新しく、新生代第四紀になって形作られたものである。 長野盆地(善光寺平)は、山地との境界が西側では直線的で東側では入りくんでいる(下図) このような盆地の多くは岩盤の傾動ブロック化によってできたものである。盆地の西側の山地と盆 地との境に断層が存在し、この断層を境に山地側が隆起し盆地側が沈み込むような運動が今もずっ と続いている。この運動によって隆起した山は浅川・裾花川・犀川によって浸食され、盆地内に扇 状地をつくり、千曲川が東側に追いやられているのが判る。
茶色:山地
白色:盆地
青線:河川
緑線:扇状地
緑斑:丘陵
(上図の上にカーソルを置いてクリックする)(赤い線が断層)  山と盆地の境界にある断層は善光寺地震の時にも活動した。このときも断層の西側が隆起するよう な地殻変動が生じ、西側の地盤は2m程度隆起した。善光寺地震の周期は1000年に一度とされている ので、1年あたりの変動量は(2000mm÷1000年=)2mmになる。また、雨水の流れは高い所を削り低い 所を埋め立てるように働く。長野市街地では6mの地下から縄文土器が出土し、千曲市でも4m地下 から4000年前の縄文土器が出土している。このことから盆地では年平均(4000mm÷4000年=)1mmの速 さで埋め立てが進行している。差し引き、1年間あたり平均 1mmの割合で相対的に西山地区が隆起す ることになる。現在、西山地区と長野盆地の高度差は 300m程度であるから、この差ができるために は(300000mm÷1mm/yr.)=300000年(30万年)かかる。従って、理論的には長野盆地の発生は30万年前 ということになる。山地側も隆起量に比例して削剥されるので、実際にはもっと早くから始まったの だろう。いずれにしても地球の歴史から言えば つい最近のことである。
長野市街地に残る善光寺地震断層跡  長野県庁北、ひまわり公園の段差は 旧長野刑務所の敷地を平らにするため に盛土したものである。 従って、この段差は断層崖そのもの ではないが善光寺地震の際の1回の地 震でできた変動量を示しており、それ は 2.5mだったことが判る。  写真は東側から西側を向いて撮った もの。   (上の図中2の断層)
 長野県短期大学敷地西から長野高校 敷地東にかけて見られる段差。 道が急傾斜になる。写真は東側から西 側を向いて撮ったもの。西側の方が 1.5m程度高くなっている。 (上の図中の4の断層) <参考文献> 活断層を歩く(1998)信濃毎日新聞社編 信州の地震と防災(2004)信州大学放送  公開講座研究グループ            (宮坂 晃)  

● もどる ●